2025.12.28

自分の意志で生きているという錯覚

考える前にその行為は既に
起こっている。

私たちの常識は自分で考えて、
そして、感情を感じ、更に、
行動へとつながると言われている。

果たしてそうだろうか。

熱いやかんに手を触れれば、
瞬間的に手を引く。

人に名前を呼ばれれば、
考えることはなく、
反応する。

人が悲しんでいると、
考えなくても体がその悲しみに
反応する。

ラメッシ・バルセカールは
「行為は行われても行為者はいない」
と指摘する。

仏陀も同様な事を言っている。

私たちは考えである思考が
先ではなく、起こった事に対して、
思考が後付けをする。

あたかも私が考えて行動したと
思っている。

実際は、行動が先でその後に、
それは私がしたのだと後付けをする。

その私はエゴと呼ばれる。

エゴは完璧を目指し、その為に
判断する。

エゴは実体がない。

私たちの、遺伝子、生まれてからの体験、
両親からの教え、学校教育、社会環境で
培われた。

そこに確実性はない。

行為者はいないのに、人はあたかも自分の
考えて行為を行っていると錯覚している。

悩みの殆どは自分の思い通りにならない。

自分の理想を達成されていない。

この不足感が、ストレスとなる。

私たちが生きる上で「行為者はいない」のに、
あたかも自分が行為者だと錯覚している所に、
取り組む課題がある。

そう思う私も、思っているのではなく、
思わされて、書かされているのだ。