2026.4.18

気づいていることに、気づく

前回は、朝の5分だけ何もしない、というちいさな実践をご紹介しました。

思考が来たことに「気づく」と、
思考と自分の間に、ほんの少し隙間ができる。

今回は、その「隙間」のところを、
もう少しだけ、ゆっくり見てみたいと思います。

ふとした一瞬

昼休みに公園のベンチに座っている。

頭の中では、いろいろな思考が浮かんでくる。

そのとき、風が吹いて、若葉が揺れた。

「あ」と思う。

ほんの一瞬、思考が止まる。
風を感じている何かが、ただそこにある。

次の瞬間、また思考が戻ってくる。

この、ほんの一瞬の「あ」。
日常の中で、何度も起きている小さな出来事です。

今日お話ししたいことは、
この「あ」の中に、ぜんぶ入っています。

二つの層

ふだん「自分」と呼んでいるものの多くは、
「考えている自分」です。

計画し、心配し、振り返り、反応している自分。
朝から夜まで、とても忙しい。

でも、先ほどの「あ」の瞬間、
思考は止まっていました。

にもかかわらず、風は感じられていた。
感じていた何かが、そこにあった。

それが「気づいている自分」です。

特別なものではありません。
今この文章を読んでいること、
呼吸していること、
部屋の音が聞こえていること。

それらに気づいている何かが、
すでに、ここにあります。

波と海

この二つは、別々の水ではありません。
どちらが本物ということでもない。

ただ、層が違うのです。

波と、海のようなもの。

波は絶えず動いている。
でも、波の下には、いつも同じ海がある。

思考があってもなくても、
気づいている何かは、いつもそこにあります。

ちいさな問いかけ

一日の中で、ふと思い出したときに、
こう問いかけてみてください。

「今、考えているのは誰だろう」
「その考えに、気づいているのは誰だろう」

答えを探さなくていいのです。

問いかけた瞬間に、
ほんの少し、視点がずれます。

思考の「中」から、
思考を「見ている」側へ。

そのずれが、「隙間」です。

すでに、ある

「気づいている自分」は、
努力して作り出すものではありません。

今も、もう、気づいています。

ただ、その「気づいている」ことに、
気づいていないだけなのです。

「気づいていることに、気づく」

今日お伝えしたかったことを、
いちばんやさしく言うと、それだけです。

次回予告

次回は、この「気づいている何か」が
日常の感情とどう関わっているのか、
お話ししてみたいと思います。

悲しみや怒りがやってきたとき、
その感情の「中」にいるのか、
感情を「見ている」側にいるのか。

今、この文章を読んでいるあなたに、
すでに、気づいている何かがあります。