2024.8.18

離れて見ると世界は変る。

夕暮れの帰宅の途中。

ふと見上げると上弦の月から
あたかも雲が延びている。

空も澄んでいてとても美しかった。

この様な景色を見られると幸せを
感じる。

それはなぜなのだろうか。

日常の私たちの生活は
「悩み」に溢れている。

心理療法とはその「悩み」を
いかに克服、乗り越えるかにある。

その「悩み」の原因は自我(エゴ)
にある。

精神世界では、この自我といかに
むかいあるかともいえる。

自我を克服しなさい。
自我をあるがままに受け入れなさい。

様々な考え方がある。

ただ、自我に拘っていると
そこから離れることは難しい。

では、どうするか。

そう自我から離れることだ。

自我から離れるとは、自分から
遠ざかることなんだ。

遠ざかるとは、自分から離れること
なんだ。

動画や本になっているが、地上にいる人
からどんどん遠ざかっていく。

すると視界がどんどん広がる。

見ていた世界が変わっていく。

それは、単に視界に入る世界が
遠ざかるだけではなく、こころも
広がっていく。

そして、どんどん遠ざかれば、
遠ざかるほど、本質なものに
出会える。

そこで感じるのは、わたしたちは
「生かされている」ということだ。

私たちは自分で人生を切り開いて
来たと思っている。

勿論、周囲の人たちの助けを借りて
育って、生きて来たことに間違いはない。

しかし、それ以上の何かの見えない力が
働いている。

それは誰もが持っている感覚だ。

それをシンクロニシティやセレンディピティなどと
言われている。

現代は個の時代になって、個々で生きている。

家族間でさえ、昔の絆は薄くなってくる。

すると孤独感が増す。

そんな時、私たちは生かされている。
その生かしている何らかの存在に対して、
応える生き方をする。

ドイツの哲学者のフランクルの提唱した
「ロゴセラピー」(私たちが老衰してゆく過程でも、
またたとえ死ぬ直前であっても、その状況ごとに
何らかの意味が見いだせる)が浮かんで来る。

ただ、私は人生に意味を見いだせなくても、
大いなる存在に身を任せて生きる。

そこに意味があると思う。