
あなたは「死後の世界」をどう思っていますか。
私たちは日常生活の中で、「考えている自分」「動いている身体」を
自分そのものだと信じて生きています。
嬉しい、悲しい、成功した、失敗した――
そうした思考や感情、出来事を“私”だと思っているのです。
けれど、少し視点を変えるとどうなるでしょうか。
インドの賢者たちは以下の比喩を良く用います。
それは、映画館のスクリーンと映る映像に喩えています。
スクリーンに映し出される登場人物が
笑ったり泣いたり、成長し、やがて物語が終わる。
そこには辛い場面、悲しい場面、楽しい場面。
そこでの映像を、私たちは無意識に「自分自身」
だと思って見ているのかもしれません。
火事の場面、水害の場面など、画面上で
火が燃え広がったり、水が溢れて来て、パニック状態です。
でも、スクリーンは、燃え広がったり、水浸しにはなりません。
スクリーンは全く何ら影響を受けません。
しかし、本当の私たちは映像そのものではなく、
映像を映し出しているスクリーンなのです。
思考や身体は一時的な映像。
映画が終えれば映像はやがて静かに消えていきます。
一方、スクリーンそのものは、映画が始まる前からあり、
終わった後も、何ひとつ傷つくことなく在り続けます。
一般に「死」と呼ばれているものは、
映画が終わることに似ています。
しかし、スクリーンである私たちの本質は、
根源、神、真我と呼ばれる存在なのです。
ですから、映画が終えても、スクリーンはそのままなのです。
その意味で、ラマナ・マハルシが解くように、
私たちは本当は、生まれてもいなければ、
死んでもいないのです。
死後の世界とは、どこかへ行く場所ではなく、
今この瞬間にも在り続けている“本当の自分”に気づくことなのかもしれません。
私たちは映画の中の登場人物として、
この世界で楽しみます。
一方、思考・感情にどんな事が起こっても、
映画を観ている自分がいることを忘れたくないですね。


