
病気が治るのか、治らないのか。
誰にもわからない。
私たちには選択する権利が与えられていると、
思っている。
自分の人生はは自分で決める。
病気を治すために努力をする。
努力するのは誰?
なんとかしなくてはと、
思うのは誰?
最終的に一時的に治るのか、
治らないのかは、その私の責任ではない。
私たちは誰もが大きな流れの中に
存在している。
その流れは個人の考えや行動の
土台から支えているのだ。
私たちの心臓が動き、
自然に呼吸をする。
その他、私たちの臓器は
その働きを24時間担っている。
これらは、自分ではコントロール
できない。
「生命」が司っている。
だから、心臓も呼吸もしているのだ。
「生命」は私ではない。
私が自由にコントロールできない。
そこには、個人の努力や知識の追求だけでなく、
「大いなる存在」が関わっている。
それは、バクティといわれる。
神聖な存在への純粋な愛と信頼を通して、
究極的な心の平安を目指す。
主役である「私」を一歩後ろに
観る。
バクティは、宗教的な背景を超えて、
神や宇宙の根源的なエネルギーといった
「大いなる存在」への愛と献身を通じて、
自己を超えた深いスピリチュアルな体験
を求める。
そこに気づくと、自我(エゴ)から
自然に一歩後退した真我に近づく道が
開ける。


