病気、それは自分自身に対するメッセージである。
特に、がんについて語るとき、このメッセージがひときわ強く響く。
特にがんに対する我々の理解は、まだまだ常識に囚われている。
真実は、未だ未だ深淵なのかもしれない。
だが、確かなことは、全ての病は我々自身の体の中にあるということだ。
そこで、「病気は自分で作ったのだから、自分で治せる」と言う人が多い。
しかし、それは本当だろうか。
更に、一歩踏み込んだ深い思索が必要だ。
正しさを求めれば、我々は全て反省すべき点を持っている。
それが病の原因となるかどうかは、見かたによる。
しかし、考えてみてほしい。
この広大な宇宙で、誰一人として完全に正しい生き方をしている者がいるだろうか。
私たちは皆、何かを欠いて、何かに迷い、何かにつまずく。
そして、それが私たちの歩む道なのだ。
「原因がわからないのに、自分で創ったのだから、自分で治せる」という理論は
どうも一貫性に乏しい。
それは「天気が悪いのは自分の責任だ」と同じではないだろうか。
私たちは自然の力に抗うことはできない。
だから、がんの自然治癒は少ないのかもしれない。
健康にいいといわれる一般的なことをしても、その効果は確かなのだろうか。
もし原因が判明していない病に対して、一般的な解決策があるのなら、私たちはもう長く苦しむ必要はないだろう。
しかし、病の真の原因はもっと深いところに存在することもあるのでは
ないだろうか。
その一つは、私たちが本当に好きなことをしていない。
社会の制約の中で抑圧され、自己実現ができていないという現実だ。
だからこそ、私たちは病気をただの疾患としてではなく、
生き方を見直す機会として捉えるべきなのかもしれない。
これが私たちに与えられた、新しい生き方への道標となる。
病は、ただ反省するだけではない。
むしろ、新たな自分に向かう転換点を示しているのかもしれない。
だからこそ、がんに出会った時には、
自分にどんな生き方が相応しいのかを考えるための一つの機会であると言える。
病は、私たち自身に送られて来るサインなのかもしれない。
原因探しはなく、その意味は未来にどのように向かって歩むかだ。
それを理解することで、
私たちは本当に自分らしい人生を歩み始めることが可能となる。