
朝のひんやりした風が頬を撫ぜ
気持ちがいい。
先日、久しぶりに向ヶ丘遊園地跡の
「バラ苑」に徒歩で行った。
今回が最後らしい。
バラには名前がつけられ、
いろいろな色があるのが、
不思議だ。
意識は大きく分けて、
「宇宙意識」と「個人意識」に
わけられる。
意識をフロイドさんは
「顕在意識」と「潜在意識」に
わけられた。
いつもこの二つの意識で
バランスを取って生きている。
宇宙意識とは、呼び方は様々だ。
例えば、宇宙の摂理、源泉、源、
創造主、神様、真我、等々。
これらは個人の意識とは異なる。
個人の意識とは、「私」と思っている
意識なのだ。
別名、「自我」とか「エゴ」と
呼ばれている。
この私は、分離感をいつも
伴っている。
「私が、私が、私が・・・・・」
の世界だ。
多くの人たちは「この私」を自分だと
思っている。
目的を持って、努力する。
その成果を追い求める。
これって、うまく行っても、行かなくても
心身共に疲れる。
それは「エゴ」一時的に満足しても、
更に、その先、その先を求める。
欲求が次々に浮かんで来る。
一方、宇宙意識とは、
完璧な宇宙の摂理、流れに乗ること
なんだ。
流れに乗るとは、流れと共に
一体化する。
流れている水に浮いていると、
自然に下流へと流される。
じたばたしない、静的なんだ。
誰もが、この二つの間で
生きている。
我を忘れている状態が
「宇宙意識」に通じる。
ただ、この我を忘れるのには、
二つがある。
一つはその為に外の世界に求める。
一方は、自分の内側に求める。
多くの場合、外の世界に求める。
いわゆる、「娯楽」なんだ。
映画、スポーツ、小説、ゲーム、
それらに熱中している状態だ。
世の中、次から次へと外側に
関心が行くようにうまく準備
されている。
野球、サッカー、陸上競技、アイススケート、
駅伝、等、飽きさせない様に次から次へと
準備をしてくれる。
その様な生き方は別に悪いことではない。
そこに真の充実感が感じられればいい。
そこに何となく自分がいない様な、
私とはどんな存在という思いが湧いて来る。
努力してきたのは、何のため。
ゴールは何なの。
そんな風に思える。
思えるは実はどうも「思わせられる」
らしい。
この、「思う」と「思わせられる」の
違いは大きい。


