2026.2.26

観照という静かな自由

写真は修整がかなり楽に出来るようになった。

自我(エゴ)は、私たちがこの世界で生きていくために必要なものだ。

同時にそれは、悩みや喜びが生まれる源でもある。

 

私たちの思考の多くには、

「私は〇〇だ」「私は〇〇している」

というように、必ず主語として「私」が登場する。

 

そして、その「私」こそが本当の自分だと、

私たちは長いあいだ信じ続けてきた。

 

ところが――

インドの賢者たちは、こう語る。

 

その「私」は、真の私ではない、と。

 

真の私とは、

真我、源泉、宇宙、神――

個としての私を超えた、より大きな存在に属している。

 

真の私は、

エゴが日々演じている人生というドラマを、

いつも静かに見守っている。

 

ありがたいことに私たちは、

ドラマの主人公であると同時に、

そのドラマを客観的に眺める「観客」にもなれる。

 

この在り方を「観照」という。

 

エゴの関与を少なくするための、

とてもシンプルな方法がある。

 

それは、

「私は〇〇している」と捉える代わりに、

「〇〇が、私を通して起こっている」

と意識してみることだ。

 

主語は「私」ではなく、「起こっていること」になる。

 

ここに、

「行為は行われても、行為者はいない」

という真理がある。