2026.2.7

死んだらどうなるの

あなたは「死後の世界」をどう思っていますか。

私たちは日常生活の中で、「考えている自分」「動いている身体」を
自分そのものだと信じて生きています。

嬉しい、悲しい、成功した、失敗した――
そうした思考や感情、出来事を“私”だと思っているのです。

けれど、少し視点を変えるとどうなるでしょうか。

インドの賢者たちは以下の比喩を良く用います。

それは、映画館のスクリーンと映る映像に喩えています。

スクリーンに映し出される登場人物が

笑ったり泣いたり、成長し、やがて物語が終わる。

そこには辛い場面、悲しい場面、楽しい場面。

そこでの映像を、私たちは無意識に「自分自身」

だと思って見ているのかもしれません。

火事の場面、水害の場面など、画面上で

火が燃え広がったり、水が溢れて来て、パニック状態です。

でも、スクリーンは、燃え広がったり、水浸しにはなりません。

スクリーンは全く何ら影響を受けません。

 しかし、本当の私たちは映像そのものではなく、

映像を映し出しているスクリーンなのです。

思考や身体は一時的な映像。

映画が終えれば映像はやがて静かに消えていきます。

一方、スクリーンそのものは、映画が始まる前からあり、

終わった後も、何ひとつ傷つくことなく在り続けます。

一般に「死」と呼ばれているものは、

映画が終わることに似ています。

しかし、スクリーンである私たちの本質は、

根源、神、真我と呼ばれる存在なのです。

ですから、映画が終えても、スクリーンはそのままなのです。

その意味で、ラマナ・マハルシが解くように、

私たちは本当は、生まれてもいなければ、

死んでもいないのです。

死後の世界とは、どこかへ行く場所ではなく、

今この瞬間にも在り続けている“本当の自分”に気づくことなのかもしれません。

私たちは映画の中の登場人物として、

この世界で楽しみます。

一方、思考・感情にどんな事が起こっても、

映画を観ている自分がいることを忘れたくないですね。