夏の夕方の小さな公園。
滑り台とブランコが何となく
手持無沙汰で閑散をしていた。
「悟り」をテーマにした本を
手にした。
そこには、一貫して、大きな私(真我)と
小さな私(エゴの私)で論じられていた。
エゴの私は、顕在意識、左脳の領域であり、
真我とは、潜在意識、右脳として扱われて
いた。
真我とは潜在意識とは異なる。
真我は前世とかインナーチャイルドの
領域とは異なる。
そこには集合無意識からさらに深さが
みられる。
また、意識を人間の脳と肉体にだけ
存在するという考え方にも無理があるようだ。
エゴを持たされたことにより、
人間は自然界とは離れた位置にいる
ようになった。
人間以外の動物は「なぜ生きているのか?」
などの質問をするとは思えない。
それによりドラマが生まれる。
そのドラマも、それぞれの人が
役割をしていると考えると、
ドラマはフィクションになってします。
その世界では、やはり、源泉、源、ゼロポイントフィールド、
サムシンググレートなどの人間の思考が
届かない存在があると考えざるを得ない。