「宇宙の流れに乗る」という言葉を
しばしば聞きます。
私もその様な「大いなる存在」、「源泉」の
司る宇宙の流れに流れに乗りたいと思います。
ここで問題なのは、
「私」と「源泉」との関係なのです。
ともすれば、私=源泉と思い込んで
しまうのです。
あたかも対等であるかの如く
錯覚をしてしまうのです。
「私」とは自我とかエゴを云われている
私なのです。
「源泉」と「私と錯覚している自我」とは
シーソーの様な関係なのです。
自我を大きくなればなるほど、
源泉は遠ざかります。
その逆で自我が小さくなればなる程、
源泉の役割は大きくなります。
自我そのものも源泉が造ったものですから、
自分ではどうこうできないのです。
そこで自我は自分に自由意志があり、
自分は他の人とは異なるんだ、と
思い込んでいるのです。
そもそも源泉から生まれたエゴが
源泉を支配することはできないのです。
自我の力で、宇宙のながれには
乗れないのです。
では、どうしたら宇宙の流れに
乗れるのか?
それには、自我を小さくする以外には
方法がないのです。
そのためには、「委ねる」「サレンダー」
しか道は開けていないのです。
すべてお任せしますから、
宇宙の流れに乗せてください、と
お願いするのです。
ただ、お願いするのが自我ですから、
大きな声でお願いするほど、源泉は
隠れてしまいます。
委ねる事とはお任せする事
です。
お任せとは、起こることをあるがままに
受け容れることになります。
向こうからやってくる人生を
受け入れることになります。
ただ、そうなるか否かは、
源泉が決めているので、
私たちにはどうにもできないことになります。